無限/夢幻の箱庭

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尊き曲、尊き時間−2018年6月29日 ヤクブ・フルシャ/バンベルク交響楽団演奏会−

出演者

・アルト独唱:ステファニー・イラーニ(当初出演予定であったゲルヒルト・ロンベルガーの代役としての出演)

・指揮:ヤクブ・フルシャ(バンベルク交響楽団 首席指揮者、東京都交響楽団 元首席客演指揮者)

管弦楽バンベルク交響楽団

・女声合唱:東京混声合唱団(合唱指導:キハラ良尚)

・児童合唱:NHK東京児童合唱団(合唱指導:間谷勇)

 

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曲目:グスタフ・マーラー作曲 交響曲第3番 ニ短調
※参考動画


Mahler Symphony No.3 - Bernard Haitink

 

バンベルク交響楽団の演奏会に行くのはサントリーホールで行われた2回のオールブラームスプログラム以来9年ぶりで、マーラー交響曲第3番を聞くのはバンベルク響の前主席指揮者であったジョナサン・ノットが2015年9月に東京交響楽団定期演奏会で取り上げて以来の3年ぶりとなる。

前回ノット/バンベルク響を聞いて最も印象に残ったのは、Pesante(重々しく)という表情記号が本場のオケではどう鳴るのか、それ以上にドイツの個性を持ったオーケストラの音が斯様にも重心がしっかりして響くことを知ったことだ。

このように思い出深い演奏会であったから、チケットを取ってからというもの、小学生の頃遠足に行くのに楽しみに指折り数えて待ったくらいの気分で当日までの日々を過ごしたのである。

 

結論からいえば、大満足も満足の演奏会であった。

不満もないわけではなかった。第1楽章のトロンボーンのソロや第3楽章のステージ場外で吹かれたポストホルンのソロに音程が届かない箇所があったり、金管セクションが不調気味ではあった。

しかし、それらは全体を損なうものではなく、十分に曲の魅力が伝わる演奏内容に仕上がっていたように思う。

 

第1楽章のマーチの部分では、後年に書かれた交響曲第6番「悲劇的」第1楽章の芽を感じ、高校時代に「悲劇的」に心を奪われそして救われた思い出が蘇った(この話はまたあとでゆっくりと語ることとしよう)。アンサンブルの良し悪しや音色を再重視するのが基本的な聞き方だ。そういった技術面をクリアしたような演奏を聞いたその先には曲の中に身を置いて心を委ねるように思いを巡らせる聞き方ができるのではないだろうか…そんなことを第1楽章から考えた。

 

聴衆を合奏に巻き込む第1楽章が終わってから一気呵成に第2・3楽章に進んでいき、アルトソロのはいる第4楽章は夜の雰囲気や霊妙さを漂わせる。第5楽章は女声・児童合唱の導入で音楽は天を見つめ始めて手を伸ばさんとし、アタッカで入る第6楽章は正に天の世界であり同時に慈しみの歌であった。

 

交響曲第3番は世に数ある交響曲の中で、更に長大な作品を多く書いたマーラー交響曲の中でも特に長大な作品である。にもかかわらず90分から100分という長さを感じさせることがなかったのは、フルシャとこのオーケストラが曲の表情の変化をところ余さずに表すことができたからに違いない。

また、昨日の演奏会を通してこの曲はマーラーの作品の中で最も尊い作品であると確信した。そしてわたしの人生の中で最も尊い時間を過ごすことが出来たと云える。

 

1度大学を中退し、十数年のブランクを経て再入学したわたしは1年後の卒業論文の執筆を控え、その準備やそれ以前に各授業のレポートやテストをクリアする必要がある。それ以外にも生きていれば辛いことはたくさんある。

しかし、この演奏会でマーラーを聞いた体験は身体や心に染み込んで生きるための強さを与えられた様に思う。

 

これから先も、浄化や勇気そして尊さをもたらす演奏会に立ち会うことができる…それを希望にして生きていこう。

 

 

マーラー:交響曲第3番(SACDハイブリッド)

マーラー:交響曲第3番(SACDハイブリッド)