無限/夢幻の箱庭 別館

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美術展は作品順に並んで見ることはない

28日、ハイブリット発想術の著者で知的生産の面で多くの支持を得ている倉下忠憲さんのファンミーティング らした先生を囲む会 に参加し、その後の食事会もデザートの配給で間も無く閉じようとするとき。

そろそろ燕子花が見頃を迎えるだろう時期である、わたしは根津美術館の庭園とこの時期に開催される「国宝 燕子花図屏風 展」を紹介し、桜花や紅葉に負けずとも劣らない燕子花を楽しんでみることを参加者の皆さんに確認コードお薦めした。
このブログの背景やヘッダーに使っている画像はこの庭園を散策している際に撮影したものである。
 
会の参加者に、日本美術を大学で専攻している友達が「あそこに行く人は年齢層が高い」、と話していた。
美術館の来館者は土日に集中するが 、ここは平日でも賑わう。
ここの魅力は建築としての美術館の趣、小さいながらも季節感を刺激する展示替えのある常設展、そして四季により様子が変わりながらよくできた設計で来館者の心を掴んで離さない庭園なのだ。 
だからこそ、平日でも多くの来館者が集まるのだ。旅行に行く程の時間が取れなくてもそれ位の楽しみがある、とわたしは確信している。
ここでも度々取り上げることにしている。
 
さて、土日に来館者が集中して作品の全体を見ることができない、という話が出た。
今日は混んでいても個々の作品を楽しむ理想の状態についてのお話。
 
 
列を作って順番を守ること、それはとてもいい習慣だ。
多くのシーンに於いて、早く来た人がそれを楽しむ・利用できることが優先されることはその場にいる人々の気を急かさない効果がある。
けれども、それが却って逆効果になる場合がある。
例えばビュッフェ。何のために個々の料理が自由に選べるようになっているのか。
気の赴くままに料理を取り、食べればいいではないか。
食べる順番・料理の配置の順番に取ることに囚われたら、選ぶ楽しみが失われてしまうのではないだろうか。
 
美術観賞でも同じことが云える。
殆どの展示が、テーマ・作品の形態・作家毎に区切られていて、そこに十数点の作品が配置されている。何も、展示の順番に廻ることはない。作品の数だけ他の来館者が楽しめるように分散できるのではにだろうか。
 
ものによっては、並ぶことで作品を楽しむことが不可能になるものもある。
絵巻物だ。
作品と並ぶ形で並んでしまうと後ろからつっかえてしまう。
上記のように展示は区切られている。
特に絵巻は並ばれると困るのだ。胸よりも低い場所に配置されるので、他の作品から移動してくる人にとっては「人の頭しか見えない」状態になる。事実まともに見ることができず、係員が移動を促すことが多々ある。
 
絵巻は物語が文で示され、次にそれに対応する絵が左に展開されていく。
文に1つの絵が対応するのではなく、幾つかの場面展開に応じて描かれる。
手に持って巻きながら見るものなので、移動しながら見るのがそれに適したものなのだ。
それに、顔や目を動かすことで先の展開を見ることができるし、人物や物語の移ろいを想像することだって楽しむことができる。
 
目の前だけにあるものだけを見るのは勿体無い。
個別に作品を見るとともに、展示全体を見ることにも試してはどうだろう?
 
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一つの作品に人が集中する、というのは列を成す以外の要素がある。
多くの場合、観賞の前提にある知識が不足しているのだ。
これについては後日表すことにする。

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術 (デジタル仕事術)

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