無限/夢幻の箱庭 別館

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大型書店で目的の書物を探し、そして「知の海」に潜る

シリーズ物を取り上げる際、1つ記事を上げるとその後のメモを見直しては大きく手を加えてしまう。

一旦休んで、この記事ではずっと前から考えていたことを記していこう。

デジタルのピンポイント、アナログの一覧

百科事典は電子辞書だと直ぐに目的を達成できる。知りたい言葉を検索して該当した項目を読めば済むのだ。

ところが冊子のものはどうだ。例えば「モーツァルト」を調べたいとき索引を見ていくとその前後に目が向いてしまうことはないだろうか。

判断一つで選択が増える、そして判断し続ける その1

木を見て森も見る

木を見て森を見ず、という言葉がある。
故事ことわざ辞典によれば英語の諺で、 物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うことを指す。
 
見出しにはことわざを引用して「森見る」と書いた。
これはどういうことか。
物事の一部分や細部を見て全体を見ることに他ならない。
 
今日は、全体像を把握して、更にその選択を増やす。それが判断によるものだ…そんなお話。
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ブログで1日の生活を作ってしまおう!

病気療養という生活の中で

仕事ができなくなった。
それは精神疾患が重くなり十分な睡眠の量と質が確保できなくなったから。
二週に一回メンタルクリニックに通い、精神障害者として日々療養生活をしている。
 
何もしていないとそのまま時間を無為に過ごしていく。
無為で構わないなら好きな事を好きな時間にやって過ごせられればいいのだけどそれではいけない。
社会復帰をして、大学にもう一度入るためだ。

1を教えるには100を知れ

論語読みの論語知らず、という言葉がある。

 

内容だけ覚えていて内容を行動・思考に反映していない様を云う。
「物知り」「(記憶力の面で)頭がいい」と云われるかもしれない
さて、こんなことがあったらどうだろう?
 
「それについてはどう考えてるの?」
それとは知っていることに他ならない。例えばそれは社会保障問題や難関大学入試の問題傾向でも構わない。
 
それについての考えについてはいくら情報を持っていても仕方がない。
それらの共通点・相違点を見出し分析する力がないと意味が無い。更に持っている情報が多いほど考えを持っていないことは恥ずかしいのではないだろうか。
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
これは方法を教えることも同様なわけで。
方法自体は知っていてもそれを体験していなければ伝えられる筈もないし、1つのメソッド中の方法は有機的に繋がっている。
 
ここで云う100を知るということは「体験を習慣になるまで積み、どうしたら上手くいくかを模索する」こと。
 
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以上、自戒を込めて。

初めての論語はこの書から↓

論語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

論語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

音楽の中の寓意~マーラーの誕生日寄せて

トロンボーンは今でこそ普通に楽曲の編成に入れられるようになったが、200年前は取り上げるのに使用条件の様なものがあった。

「神の楽器」と呼ばれていたこの金管楽器は宗教音楽に頻繁に利用されて世俗音楽では使用を憚れられていた。

Chromeの動作が遅くなるとか、もう寿命かね?

提出する文書やブログのエントリーを作るのに、Chrome・Evernote・Skicth・SkyDriveで大体事足りて、

オフィスソフトは其れ等をエクスポートする際にしか使っていない。

遊びには三國志12、クラシック音楽にはChromeでNaxosMusicLibraryにアクセスするかiTunesを。

ポップスや語学学習用CDはMediaGoにインポートしている。

 

他に多用するのはニコ生アラートやコメントビューア「やります!アンコちゃん」程。

 

流石に同時に5つ開いていると重くはなる。

しかし同じ事を8ヶ月前はシステムメモリー4GBでやっていて困ることはなかった。16GBに増設して今に至るのだが、最近Chromeの動作がものすごく遅い。

FeedlyやTweetdeck、One Tabといった拡張機能に頼りっぱなしで他のブラウザを使う気にもなれない。

 

要は寿命、いや扱い方が雑なんですね。

 

さっさと組み直してなるべく丁寧に使いましょう

 

教養本に負けないということ 常見陽平の最終鬼畜スパルタカルチャースクール第1回-1

一度どこかのトークイベントをキャンセルして数ヶ月、遂にこの日がやってきた。

 
「最初で最後!ゲンロンカフェ出入り禁止!]との煽り通りの部分もあったけども、大部分は甘やかしを徹底して排除し現実に向き合った読書論であった。
 
今日は、常見陽平氏の危険な読書論のことについて。
 
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最初にこの動画に触れておきたい
 

2013年6月23日 ゲンロンカフェ「常見陽平の最強鬼畜カルチャースクール」煽り映像

開演前はメタルのライヴビデオが流れ…常見陽平・司会のイケダオソトがプロレスのリングに上がるように登場。流石プロレスファン。
このイベントの「ヤバい」感じを演出、「どうなっちゃうんだろうね」煽るわ煽るわ。
 
さて、内容を細かく見続けて行くと果てしなく続いてしまうので思うところをば。
 
何を読んで自身を育てるか。
教養本、難しい古典・思想の類を噛み砕いて編集した本が売れている。
最も有名なものは「超訳 ニーチェの言葉」だろうか
 
わたしも買って読んだ。既にちくま学芸文庫ニーチェ全集があり、「超訳」に抜粋された言葉を原本で確認、そして書かれているページを書き込むという読み直しの作業に使っているが、至る所で指摘してあるように「ただ読んだだけ」になっていないだろうか。
 
知識をつけるだけならそれで構わないのだが、教養本からそれ以外のもの得ることを考えると、教養とは何か という問題にぶつかってしまう。
思い切って一言で云ってしまうと判断力をつけることだと考えている。
 
論語読みの論語知らず」という言葉があるが、其の内容をひけらかすことではなくよく噛み砕いて行動・思考に反映させることが「論語を知る」ということなのだろう。
 
所謂教養本は咀嚼する過程を省かせて著者を甘やかす。
一読者としてもそうしたことを忘れにでおきたい。
ニーチェの場合はそうしていたが、源氏物語夏目漱石の場合はそうではなかった。これからやろう。
 
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「私の読書術」で挙げられていたことを少々。
  • 参考文献一覧を「読む」
「一つ知ると知らないことが増える」とは友人の言葉だが、一冊の書で知ったことでわからないことが増えたら参考文献にあたってみるのもいい。
研究者のみならず一つ一つ掘り下げる読み方をするならそこは宝の山だ。
  • 「製法」を読む
其の本がどのように書かれたか…著書の考えを辿ることでそれを追体験できる。
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最後に常見氏のメッセージを。
 
 
読者として
先人が創った偉大な知を丁寧に味わいつくしたい

著者として国境、世代、時代をこえる傑作を作り, 先人、強敵(とも)に挑み、こえていきたい